【長谷川保 山形春人 浜松市社会福祉協議会 共同募金】
昭和二十年代半ば、GHQは戦後日本の福祉活動にかかわってきた日本社会事業協会、全日本民生委員連盟、同胞援護会の三団体を解散させ、新組織の社会福祉協議会への統合を促してきた。中央や各県で社会福祉協議会が作られたが、静岡県では昭和二十六年二月二十日に静岡県社会福祉協議会が創立総会を開いた。会長は小塩孫八、副会長の一人は長谷川保、理事の一人は山形春人であった。これによって戦後の混乱期に主として貧困者の救済に尽力してきた福祉事業(福祉三法体制=生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法)はより総合的に推進できるようになった。浜松市社会福祉協議会は昭和二十六年九月十九日に発足した。ただ、社会福祉団体には政府からの資金援助は激減することになったため、昭和二十二年、共同募金によって国民から広く浄財を集め、社会福祉団体に分配する運動が推進され、毎年十月に社会福祉のための寄付金を公募することになった。第一回の共同募金運動は昭和二十二年十一月二十五日に始まり、寄付者には赤いバッジが渡されたが、同二十三年十月一日からは赤い羽根となり、今日に至っている。