[神輿を担いで市内を行進]

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【浜松青年復興会】
 浜松市民にとって凧揚げ祭の復活は悲願であった。昭和十二年(一九三七)の凧揚げ祭の後、戦時体制が強化されてくると凧揚げ祭は中断されたままであった。
 昭和二十年六月十八日未明の大空襲によって浜松の市街地の大半は焼失し、凧やその道具、屋台などは灰燼(かいじん)に帰した。戦後は衣食住の確保に追われ、凧揚げ祭の準備どころではなかった。昭和二十一年五月五日、木戸町ほか十五カ町の青少年二千五百名は凧揚げ祭の代わりに、揃いの襦袢に赤ふんどし、向こう鉢巻きのいでたちで神輿を担いで市内各所を乱舞して行進した。また、浜松青年復興会は五社神社広場で音楽演奏会を、中山町男女青年は刑務所跡地で演芸大会を開催した。各町の青年は町の青年会に所属していたが、浜松市の連合青年会はまだ結成されていなかった。とすると、この浜松青年復興会はその前身であったとも考えられる。