【岩水寺 中田島 佐鳴湖観光協会 秋葉詣で 天竜下り 天竜観光協会 北遠振興会】
戦後の復興が進むにつれ、庶民の生活にややゆとりが生まれた。そして戦前からの行楽地に客足が戻ってきた。昭和二十四年四月、桜の名所である岩水寺への行楽客のために、遠州鉄道は電車を増結また増結で人の波をさばいたがそれでも乗れない人が出るというほどだった。また、市内の住吉町にある浄水場や、法多山、岡崎、新城の桜淵などにも出掛ける人が出てきた。二十五年七月二十四日付の『静岡新聞』には中田島と新津の海岸、佐鳴湖が海水浴場としてにぎわっていることが出ている。中田島への市営バスは昭和二十二年に再開、佐鳴湖(小藪)への市営バスも二十四年から運行を開始し、海水浴客を運んだ。また、入野村には佐鳴湖観光協会ができ、観光パンフレットの作成や佐鳴湖への案内看板の設置などを行った。戦前、遠州電気鉄道が大いに宣伝していた秋葉山詣でや天竜下りは戦争で中断されたが、二十五年七月二十三日には静岡新聞社主催の秋葉詣でと天竜下りの旅が催され、浜松―秋葉山―雲名と回り、雲名からは豪快な天竜下りを行ったとある。昭和二十五年九月七日の『静岡新聞』には、同月の中旬には天竜観光協会の発会式が行われる予定とあり、様々な観光ルートの選定や天竜川下り遊船の復活を計画していると出ている。そして、二十六年八月五日には北遠振興会が新造した天竜川下りの観光船〝天竜丸〟の処女就航が六十名の乗客を乗せて龍山村の西川から出発して行われた。途中には鮎釣の険、千草の七つ釜、横山橋下の奔流、相津地先の七曲がり、船明弁天岩など、佐久間・秋葉などのダム完成以前の「しぶきに濡れて天竜下り」を満喫できる名所があり、乗客は肝を冷やすスリルを楽しんだ(『静岡新聞』昭和二十六年八月七日付)。