[子どもの遊びと楽しみ]

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【野球 遊び がき大将 けんか 紙芝居 お菓子】
 終戦直後の焦土の市街地でも、農村や漁村でも子どもたちは学校から帰ると遊びに夢中になった。野球がはやり出すと棒切れをバットに、布切れでグローブを作って野球を始めた子どもたちがいた。男の子は野球のほか、竹馬・缶けり・釘刺し・陣取り・S・ゴムかん・めじろとり・夜ぼり・ターザンごっこ・戦争ごっこ・馬跳び・こまなど、数えきれないほどの遊びをしていた。女の子の遊びはお手玉・あやとり・ゴム跳び・かごめかごめ・ほうずき鳴らしなど、これまた実に多かった。男女共通の遊びもあり、男女一緒にかくれんぼや鬼ごっこ、おしくらまんじゅうなどを暗くなるまで楽しんだ。空き地や路地は子どもたちの遊び場、年長のがき大将を中心とした異年齢の子ども集団がおり、がき大将はカッチン玉やメンコ(ペったん)、釘刺しなど、次々に遊びを変えて飽きさせないようにしていた。この時代の遊びの特色は遊ぶ道具を子どもたちで作っていたことである。凧や竹馬、竹鉄砲、こま、ゴム管など、小さな子はがき大将や年長の人たちに教えられて作った。また、かいぼりやターザンごっこなど、小川や野原、森など自然の中での遊びも多かった。
 遊びとは異なるが、けんかもたびたび起こった。子どもたちの一団が隣村に入ろうものなら、そこは〝他国〟となり、隣村の集団と口げんかや石合戦が始まる始末だった。楽しみは、町や村に回ってくる紙芝居であった。紙芝居屋にお金を払うとやわらかな飴をくれ、それをこねりながら黄金バットや怪人二十面相お菓子などを見た。もう一つの楽しみはお菓子であった。五円玉や十円玉を握って駄菓子屋に行き、いもあめやキャラメル、また、チューインガムやアイスキャンデーを買った。お金が無いときは、桑の実やぐみの実、やんぞうこんぞうなどを食べ、また、家で作ったふかしいもや干しいも、砂糖棒などをかんだ。
 『新編史料編五』 七社会 史料126で紹介した「ざるがに釣りの少年たち」は大通りのマンホールでざりがにを釣っている。それは食糧の自給であるとともに、遊びでもあった。このような遊びや楽しみはテレビが普及する昭和三十年代半ばごろまで続いた。