昭和二十年十二月、浜松市内の十八校区単位に青少年団が続々と結成された。また、二十四年三月には市内初の少年自治会として馬込町少年自治会が東小学校で結成された。会員は八歳から十八歳までの少年たち三百名で、治安・体育・文化・社会など六部を設けて、会員相互の親睦、修養、不良化防止を図り、明るい町をつくることをねらいとして活動することになった(『静岡新聞』昭和二十四年三月十四日付)。これは警察署の指導や協力でつくられたもので、その後全市にわたって少年自治会がつくられた。西遠地方の少年自治会の数は二十四年度末に三十九、それが翌年度末には百二十一となり約三倍に増えている。昭和二十五年三月と翌年の三月には西遠地方青少年問題対策協議会が地方事務所で開催され、優良な少年自治会を表彰している。少年自治会の活動の様子は表2-54のように多彩なものであったが、市当局や警察により少年たちを善導する意図が色濃く反映されていた。前述のようにパチンコの流行が青少年にまで及んできたこともこれら少年自治会誕生の背景であろう。
これとは異なり、童話の読み聞かせや紙芝居などを通して子どもたちに宗教心や博愛の精神を育てようとした寺院関係の子ども会は昭和二十二年ごろには復活の動きが出てきていた(『新編史料編五』七社会 史料131)。また、青年団の手で八幡町・中沢町・高林町などに少年会が出来た。静岡第二師範学校では童話班を組織して地方を巡回、信愛高等女学校はPTAの事業として教師と生徒でプログラムを編成して町村を巡回して子どもたちを楽しませた。二十四年度に入り、浜松子供協会は本格的な活動を再開、その復活第一回として昭和二十四年九月二十五日に板屋町の文化ハウスで「幻燈・紙芝居・童話の会」を開催し、飯尾哲爾や久保田閲次、吉沢純道ら子供協会員の熱演に百余名の子どもたちは大きな拍手を送っていた。昭和二十六年一月二十一日には完成間もない浜松市立図書館で「子どもの集い」が開催された。図書館の「日誌」には「午後一時半より特別室に於て、浜松子供協会の出演を得て、第一回『子供の集い』を開催、出演同人十名、来会児童三○二名、盛会を極めた。閉会、午後五時、上演種目は、紙芝居、童話、人形劇、朗読、幻燈」と記されている。以後、浜松子供協会は児童文化の向上に大きな役割を果していくことになる。
表2-54 少年自治会の活動内容
出典:『静岡新聞』昭和25年3月27日付、昭和26年3月9日付より作成
少年自治会名 | 馬込町 | 浅田北町 | 福地町 | 葵東 | 植松 | 野口 | |
表彰年度 | 昭和24年度 | 昭和25年度 | |||||
表彰時所属人数 | 375名 | 135名 | 150名 | 130名 | 150名 | 384名 | |
結成時期 | 昭和24年3月 | 昭和24年4月 | 昭和24年7月 | 昭和24年12月 | 昭和21年9月 | 昭和25年7月 | |
活動内容 | 図書室設置 | 設置済。2万円の書籍整備済。 | 近くに少年図書館を設置。 | 児童図書館を公会堂内設置(蔵書228冊)。 | 蔵書100冊。 | ||
奉仕活動や創意工夫の活動 | 早起き会を作り道路清掃。3ヶ月に1回、工作・図画作品展。 | 週1回早起き道路清掃。 | 毎日曜日、道路等清掃修行。 | 火の用心巡回。作物の害虫駆除。神社・道路清掃。 | 東校子供銀行を通じ小学校48,500円、中学校95,000円を貯金。 | ||
座談会等 | 月1回指導員PTAと連絡座談会。 | 毎土曜日、反省会。月1回親子自治会。 | |||||
スポーツ | スポーツ実施。 | 他町のクラブ等と対抗競技。 | 野球・バレー・卓球等運動具完備。正しいレクレーションに力を注ぐ。 | スポーツによる不良化防止をはかる。 | |||
見学・遠足・慰問等 | 見学・遠足・慰問等実施。 | 市警察の見学、遠足会 | |||||
学習会 | 夏・冬休みに学習会。 | 毎日、夜学会。 | |||||
新聞発行等 | 自治会ニュース発行 | 自治会新聞発行 | 月3回、至誠新聞発行。 | 月1回文芸作品、ニュース掲載の新聞発行。 | 自治新聞を月1回発行。 | ||
芝居・映画等 | 紙芝居・幻灯会を催す。 | 神社を遊び場に指定し教育幻灯会、映画会実施。 | 市・警察と連絡し幻灯会実施。 *夜遊び・パチンコ等の自主的禁止規定を設けた。 |