【浜松市立病院】
戦後の市民生活はあらゆる方面で劣悪な状況下におかれ、医療・厚生関係における緊急事は各種伝染病の蔓延に備える防疫体制、医薬品の充足と衛生思想の普及であった。そのための医療施設の復旧と医療従事者の確保が重要事項であった。
従って戦後に直面する課題は、右の問題点と、医療施設の新たな建設問題、すなわち、どこに建設するか、地域住民間の利害調整が市政上の争点となる可能性があった。それを表すように新聞紙上には様々な観測記事が書かれることになる。
ところで、先に見たように官公署としての病院等もまた壊滅状態に近かったが、その中でも幾つかの病院の医療活動は継続していた。
遠州病院は北浜村の太田病院を借り受け、北浜分院として診察を継続し、入院患者を移転させている。また、幸いにも浜松赤十字病院は空襲の被害が少なく、疎開もしなかったので戦中戦後の浜松市内の治療浜松市立病救護施設としての大きな役割を果たしたことは先に言及した。また浜松市立病院は伝染病院としての役割があったが、昭和二十年四月三十日の爆弾攻撃と七月二十九日の艦砲射撃による戦災は軽微であり、応急の復旧工事によって患者収容と治療には支障を来さなかった。