[地域医療の第一歩]

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【社会保険浜松診療所 国立浜松病院 浜松赤十字病院 山田鉄三郎】
 先に見たように敗戦直後の医療状況を表しているのは、追分国民学校における無料の臨時診療所の開設であったが、その後も巡回診療所が開設されている。主として罹災者や海外引揚者、無医村が当面の対象である。また、戦後には医師と薬品の不足、不完全な居住空間、非衛生的な食生活の環境、ハエやネズミの駆除の不徹底などの条件が重なって、毎年のように各種の伝染病が蔓延している。他方、天然痘のような伝染病は、昭和十二年以来、発生を見なかったのであるが、敗戦による海外引揚者の中に保菌者がいた可能性も考えられるような社会的背景があった(『浜松市戦災史資料』 四)ので、地域医療を担ったのは静岡県浜松保健所の日常業務であることは言うまでもない。これに並んで先述の遠州病院の活動や、以下に述べる国立浜松病院、浜松赤十字病院の活動がある。なお、同二十三年十月に設立された社会保険浜松診療所は、昭和二十四年五月には、静岡県下の二十三カ所の無医村を対象に、保健婦と助産婦を派遣して巡回診察を行った。天竜川以西では無医村四カ所(浜名郡南庄内村・竜池村・五島村、引佐郡中川村)を巡回し健康診断と治療を行っている(『静岡新聞』同二十四年五月二十日付)。
 戦後の浜松市域の医療行政の展開で大きなうねりとなっていくのは、間欠的ではなく恒常的に、安心して診察を受け、相談を掛けることが出来る、人と組織が身近に存在することであろう。浜松市の医療行政における問題点は、慢性疾患である結核をはじめ伝染病治療対策の拡充が求められたことから始まって、世論として総合市民病院設立への気運が生まれていくことであろう。
 昭和二十一年七月には、国立浜松病院が無料診察班を組織し、主として復員者、引揚者、戦災者を巡回して診察した。医師を二班に編成し、七月中に浜名湖周辺の地域を巡回するものであった。
 第一班が五日雄踏町、六日舞阪町、七日新居町、八日白須賀町、九日鷲津町、十日新所村、十一日入出村、十二日知波田村、十三日三ヶ日町、十四日東浜名村。第二班が十六日気賀町、十七日金指町、十八日井伊谷村、十九日奥山村、二十日伊平村、二十一日鎮玉村、二十二日都田村、二十三日麁玉村、二十四日北庄内村、二十五日南庄内村、二十六日村櫛村。
 昭和二十一年十二月二十二日から二十六日まで、引揚者の越冬援護の事業として、無料の巡回診療が国立病院の担当で市内の国民学校などで行われた(上村家文書「重要通知書綴」)。
 浜松赤十字病院では、昭和二十三年八月中旬に当時の浜名郡和田村薬師に天竜診療所を設けている。診療科目は内科と外科の診察である。また、昭和二十四年五月十五日には「母の日」の行事として磐田郡二俣町で産婦人科の無料診療を実施している。
 また、同二十四年六月、山田鉄三郎院長は市内の民生委員あてに、「生活困窮者に対し割引診療券」を発行することを伝えている(上村家文書「民生委員・生活保護関係綴」)。診療券の有効期間は一カ月、医療は初診より一カ月である。また、割引率は「医療費半額 但し入院医療費又は高価薬は三割引」としている。
 なお、時間的にはこれより後のことであるが、昭和二十九年四月以来、静岡県と静岡済生会病院、静岡・浜松赤十字病院が共同して県内の身体障害者を対象に巡回し診療活動を行ってきたが、翌三十年二月二十二日には浜松駅構内において義肢の修理等を行っている。