[結核予防週間と撲滅運動]

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【結核予防週間 五カ年計画の結核撲滅運動 浜松市立病院 社会保険浜松診療所】
 昭和二十四年十月に結核予防対策のため県下唯一の特別市に指定された浜松市と浜松保健所では、五カ年間で結核死亡率の半減を目指すことになり、十一月十日から県下一斉に展開される結核予防週間を推進することになった。同二十三年一月以降の肺結核死亡者数は合計七十八名のうち、三十歳以下が三十五名、三十歳以上が四十三名であった。浜松市の肺結核死亡者の年齢が若者よりも壮年者に多いという特徴があり、浜松市民の平均寿命は男子四十七歳、女子四十九歳で県下他町村に比して短命ということである。
 『静岡新聞』(昭和二十五年二月二十四日付)は五カ年計画の結核撲滅運動のための結核対策特別委員会が発足したことを報じている(会長坂田市長、副会長館野保健所長・白井市役所助役)。この運動では結核患者に関する基礎調査、分布状態、死亡率等を明らかにし、学校・事業所・各種団体の集団検診を励行させ、ツベルクリン反応検査・BCG接種・レントゲン精密検査を行うことによる予防法を徹底させることとした。患者への対応としては療養所の入院を斡旋指導し、さらに民生委員の活動によって貧困家庭の結核予防のための生活扶助を促進させることにしている。
 昭和二十五年二月十七日付『静岡新聞』によると、浜松市の結核発生状況についての発表があった。昭和二十三年の患者発生数は六百四十二名、二十四年は五百十名(男子二百五十五名・女子二百五十五名)であり、全市百二町のうち九十一町に患者発生があり、若者の比率が高いが壮年・老年層にも新患者が発生しているという。
 患者発生の多い町名と患者数を挙げている。上段は昭和二十四年の患者数で下段括弧内は同二十三年の患者数である。
 
 ①鴨江三十(六十三)、②浅田二十二(二十二)、③広沢二十二(二十一)、④名残二十(二十二)、⑤野口十九(十六)、⑥砂山十七(二十八)、⑦海老塚十六(十七)、⑧中島十六(十五)、⑨中沢十五(二十二)、⑩寺島十四(十七)、⑪上池川十四(十六)、⑫西伊場十三(三十一)、⑬追分十二(六)、⑭和地山十二(四)、⑮佐藤十一(十一)
 
 また、年齢別の患者発生数は次の通りである(患者発生数は新聞記事のまま)。
 
 一~十五歳六十二名、十六~二十歳五十二名、二十一~二十五歳百十八名、二十六~三十歳八十八名、三十一~三十五歳六十名、三十六~四十歳四十四名、四十一~四十五歳三十一名、四十六歳以上五十二名、計五百十名
 
 先記の『静岡新聞』(昭和二十五年二月二十四日付)の館野浜松保健所長の談話では、結核撲滅の推進方針について、モデル町を作り、そこを基点にして周辺に浸透させる作戦を立てている。しかも、その際には市内の国立浜松病院・浜松赤十字病院・遠州病院に市内各町を割り当て、その町内の一般家庭・学校・事業所を問わず徹底的に結核撲滅を行い、民生委員の協力を仰ぎ保護指導を行うと決意を示している。
 昭和二十五年五月二十五日から開始された結核予防運動に当たり、浜松保健所と市衛生課では、市内の高等学校と中学校の生徒に対して校医が講演会を催し、教員に対しては保健所鴨江分室で所長と県教委の技師が講習会を開催する。また映画上映による啓蒙活動を行うとした。
 他方、浜松保健所は市内高校生一万名の結核集団検診を昭和二十五年十一月二十五日から十二月二十二日までに行った。その結果は要療養者は四百二十名、要休養者は七十二名、要注意者は三百十三名が発見されたので、早速に要療養者の入院治療をはかることになったという(『静岡新聞』昭和二十五年十二月二十七日付)。
 なお、昭和二十六年三月三十一日制定の結核予防法(改正)以後、結核治療機関の指定を受け、あるいは重点的診療科目を設定するに至るのは、右の三病院のほかに、浜松市立病院(昭和二十七年七月、結核療養所開設)、社会保険浜松診療所(昭和二十八年、結核検診開始)が挙げられる。