[治療技術の革新]

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【大気・安静・栄養】
 結核が不治の病として恐れられ、とりわけ若い人々を蝕んできたことは、戦後も変わらなかった。戦後の非衛生な居住環境、食糧不足や栄養不足、医薬品の不備とも相まって、法定伝染病や結核の蔓延と患者激増は民心の動揺を生む条件ではあったが、敗戦直後の昭和二十年九月、GHQの公衆衛生対策に関する覚書が発せられて以後、同二十二年九月の保健所法(全面改正)をはじめとする医療衛生に関する様々な法制と機構の整備があって、徐々に改善されていった。戦前以来の結核患者の療養生活の大原則は「大気・安静・栄養」であるが、栄養については、西遠地方事務所は管内市町村長あてに、栄養に関する配慮を通達している。入院療養中の結核患者同様に、在宅の結核患者へも一カ月主食百四十グラム、油脂十グラム、砂糖三百グラムを増加配給するというのである。それには保健所の証明書をもらい役場に届け出るものであった(『静岡新聞』昭和二十五年九月十四日付)。