化学療法と外科療法の出現

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【ストレプトマイシン パラアミノサリチル酸 コンテベンTB-1】
 また、治療技術や新しい薬剤について言えば、外国から導入され、その知識技術に順応し、さらなる改良発展があって、病院の治療水準は上がっていった。戦前ではひたすら「大気・安静・栄養」の原則が遵守されてきたが、化学療法と外科療法の出現と導入とが、結核治療法を革新させた。
 前者の新しい薬剤とは、昭和十九年にワクスマンとシャッツとによってストレプトマイシン(SM)が発見され、ペニシリンが効かない結核菌に効果があることが判明した。同二十一年にはスウェーデンのレーマンがパラアミノサリチル酸(PAS)を、またドマークがコンテベンTB-1を抗結核剤として開発した。さらに同二十七年にはイソニコチン酸ヒドラジッド(INH)が製造された。これらの薬により結核による死亡率が低下した(『くすりの夜明け』内藤記念くすり博物館刊、平成二十年九月)。日本では昭和二十三年ごろから出回るようになり、腸結核・咽頭結核・肺結核の治癒率が高まったのである。
 後者の外科療法では麻酔学・輸血学の進歩に伴って、肺切除手術の安全性が確実なものとなったのである。このような学術的進歩を背景にして、聖隷保養農園付属病院では昭和二十四年に東京大学名誉教授の都築正男によって肺手術が開始されている。これ以後ここでの結核治療は市民の期待を高め、入院待機の患者数は二百名を超えている。この傾向は同二十八年に神津克巳が第三代付属病院院長に就任(後に鴨江にて開業)してから、診療部門を充実させ、周辺地域の結核検診受診率を向上させることになった。