[結核予防法の改正]

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 大正八年三月二十七日に制定された結核予防法が昭和十二年四月に改正され、さらに同二十六年三月三十一日結核予防法の改正があった。この法律によって医療行政では保健所が結核予防対策の中心的な機能を果たすことになり、初めて結核医療費の公費負担が法制化されたのである。
 先に記述した保健所の日常活動の実態は、結核予防法改正以前のそれであったが、市民生活に密着した面では一層、これによって健康診断の対象が拡大した。集団検診・定期検診を貫徹し、三十歳未満の者にはBCG接種を定期的に実施した。
 公費負担については、すでに見たように浜松市では昭和二十一年九月、臨時措置ではあったが、結核予防の無料診察所を設営していたことがあった。その六年後に公費負担を法制化した国家政策が実現したことになる。結核医療費の二分の一を公費負担し、命令されて入院した患者や就業禁止が命ぜられた患者の医療費は公費負担である。さらに公立及び営利を目的としない法人の療養所の設置・拡充の経費に対して国庫補助をすることになった。
 従って先の昭和二十五年十二月に新聞報道された家政婦の結核治療費負担については、これによって救済される可能性も出てきたであろう。また、市内三病院(国立浜松病院・浜松赤十字病院・遠州病院)の病床拡充策はこの法律に基づいているのである。