【赤痢 発疹チフス 天然痘】
『浜松市戦災史資料』四に収められた戦前の昭和十二年(一九三七)以降の各種伝染病の発生状況を示す一覧表のうちで特に注目されるのが、同二十年の赤痢の発生である。患者七百四十八名のうち死者二百五名である。また、発疹チフスと天然痘が同二十一年に発生している。これは同十二年以降二十年までの統計表には見えない。海外引揚者の帰国によるものと推定されている。また、『新編史料編五』 八医療 史料8に採録した『都田村郷土実態調査』にみえる昭和十三年から同二十一年までの伝染病患者数の場合でも、戦前では赤痢が五名以下であったのに対し、同二十年には四十名という多さである。
GHQ覚書によって昭和二十二年に伝染病届出規則が制定され、さらにその後の医療行政機構の改革によって伝染病予防法が改定を重ねている。その主要な点は、都道府県に対する国庫負担率を二分の一に引き上げたこと、地方行政機関による鼠・昆虫駆除を義務付けたこと、日本脳炎を法定伝染病としたこと、等である。また戦後の新改革では、GHQの指示により各種の予防接種が広く実施されたことである。