[天然痘、日本脳炎と小児マヒ]

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【天然痘 日本脳炎 急性灰白髄炎(ポリオ) 小児マヒ】
 天然痘は外地引揚者・復員者の中に保菌者がいたことから発生したと言われるが、昭和二十一年一月から三月にかけて天然痘罹患の記事が多い。浜松地方では二月一日、愛知県からの旅行帰りの五十八歳の男性が真症天然痘と決定されたが、記事では「予防には種痘が最もよいが肝心な痘苗がないので如何とも致し方ない」と記している(『静岡新聞』昭和二十一年二月三日付)。県下の患者数は二月二十八日現在で三十二名(死者九名)、三月八日現在では浜松市の患者は七名で、県下の患者は六十一名(男子三十六名・女子二十五名、死者五名)、全員が未種痘患者という。三月十一日現在では県下で七十二名。三月十四日現在患者総数八十名(死者十四名で未種痘者十名)。患者のうち都田村の七十八歳の男子の名が見えるが、老人への種痘も大事であると報じている。三月十七日現在の県下の患者総数を「痘禍九十七名」との見出しで報じている。
 種痘に関する行政措置の例として、可美村では昭和二十二年五月二十二日付で「人民総代殿」というあて名でもって同二十一年の一年間に誕生した者、同二十年の種痘が「不善感」、あるいは事故病気での延期者を対象にし、種痘の日時と場所、及び「検痘日」を指定した通知を発している。
 日本脳炎は昭和二十一年、法定伝染病に新指定されている(十一疾病)。日本脳炎は同二十三年に県下に大流行した(土屋前掲書)。同年八月十一日付『静岡新聞』には、十四名の新患者発生を「初発以来廿六名」と報じ、「いずれも少年から幼児ばかり」とし、その症状を伝えている。「全身の倦怠甚だしく頭部の強直と背部に疼痛を訴えたのち発熱四十度前後で嘔吐を催し、そのうち上下肢の運動マヒし歩行等不能に陥り昏々と眠りつづけながらウワ言をいつている」と。十三日現在の県下の状況は八十五名(死者十六名)という。浜松市は十五日から二十二日までを全市を挙げた日本脳炎予防週間と決めた。下水・水溜まりの清掃、雑草刈り、ボーフラ退治と蚊いぶし励行、睡眠を十分にとる、昼間の無帽外出禁止などを掲げている。
 昭和二十三年八月二十三日付記事では、県下で初発以来の集計が二百四十七名を数え、死者は四十五名という。翌二十四年八月二十三日付記事では「西遠地方に猛威」という標題で二十二日現在で三十三名(死者十名)と報じ、同年八月二十九日現在では新患十一名を含めた県下の六十六名の内、「浜名、浜松、磐田郡下に断然多い」と述べ、同年九月二十二日付記事には、県下の日本脳炎患者の発生は「秋冷とともに幾分下火となつたが、依然各地に散発」していると報じた。昭和二十五年までこの傾向は続いている。
 他方、急性灰白髄炎(ポリオ)は指定伝染病として日本脳炎に準ずる取り扱いを受けたが、後に三十四年、伝染病予防法に基づく伝染病として指定された。昭和二十五年七月三日付『静岡新聞』の「恐しい病魔小児マヒ」(『新編史料編五』 八医療 史料16、解説記事参照)という記事に見えるように、その時点では予防不可能と言われていたが、同三十年四月には小児マヒワクチンが発表され、同三十六年六月の小児マヒ大流行に際しては緊急に輸入され、その七月には県下一斉にポリオワクチンが投与されている。同四十五年からは発病の届出数が激減するに至った。