大正七年、八年にかけて育児期にある女性の職業と家庭の両立をめぐる母性保護論争があり、資本主義社会における母性保護運動へと展開した。与謝野晶子、平塚らいてう、山川菊栄、山田わか等が母性保護論争に参画しているが、それぞれの主張の論拠に違いはあるが、母性の社会的意義について女性自身が展開させ、戦後の労働基準法における母性保護規定に至り、今日の女性労働者の法制上の原点になった点で評価されている(小学館『日本歴史大事典』、永原和子、早川紀代執筆の母性に関する該当項目参照)。
[母性保護論争と母性保護運動]