【母子衛生 優生保護 ベビーブーム】
優生保護法は昭和二十三年七月に成立し九月に施行され、翌二十四年一月に施行規則が制定された。これは優生上と母体保護の見地から優生手術と妊娠中絶を認めたものである。
戦前の富国強兵政策下において多産を強いる人口増加策は、必然的に女性の労働と出産・育児に多大な犠牲を払わせ、深刻な社会問題となり、それ故に産児制限運動もあった。しかし、戦争遂行のための人口政策確立要綱は産児制限を否定した。この前提に立ち戦後の母子衛生と優生保護が強調されるゆえんである。『新編史料編五』に採録した八医療 史料13「生活困窮者の優生手術・人工妊娠中絶への費用負担」は特定疾患の発生を防止するため妊娠中絶を認め、医療費扶助をいうものである。
優生保護法はその後幾たびかの改正を経て、都道府県と保健所を設置する市に優生保護相談所の設立を義務付け、業務内容として受胎調節に関する適正な普及指導を促進させている(土屋重朗『静岡県医療衛生史』参照)。
他方では戦後の第一次ベビーブームの時代(昭和二十二年~二十四年)を迎えるのであるが、子どもたちの学童年齢に達して以後、教育環境上に大きな問題点を投げ掛けたのである。