【回虫卵保有状況】
戦後社会を覆う食糧難は穀物・蔬菜(そさい)の増産に尽力してきたが、農耕法は伝統的なものであり、特に肥料は糞尿に頼るものであった。それが端的に表れたのが三方原である。近世の入会地、戦時中の射爆場、戦後の開拓地である三方原の痩せた土地に新たに集落を構えた人々の体調こそこの時代を象徴するものであろう。三方原開拓農業協同組合がまわした回覧板には「検便結果の御知らせ」として、都田地区の十一家族(全二十人のうち、幼児一人を除いた十九人)について、個人別の回虫卵保有状況が示されている。「+」(一視野について、回虫卵一個から五個)が十七人、「-」(なし)が二人である。三方原開拓農業協同組合における「組合内全般については八九・四%の保有率」という全体状況であった。