[文芸誌の創刊ラッシュとその挫折]

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 敗戦を機に、軍国主義的規制が解かれるとともに、施設・設備の不備、物資の欠乏の状況の中から、文学の各方面において、自由で活発な活動が見られるようになった。
 雑誌の発行について見ると、GHQによる検閲はあったが、中央では昭和二十一年一月、戦前からの雑誌『中央公論』と『改造』が復刊し、同じ月に新しく『世界』が創刊されるなどの動きが見られた。浜松においても、昭和二十年代に、幾つかの雑誌が刊された。やがて多くは消えていったが、それらの中で注目すべき雑誌は、詩誌『詩火』と文芸誌『浜工文学』の二つである。前者は、浜松地方において、戦前から詩人として活動し、戦後の当地方において最も旺盛な創作活動を示した後藤一夫(本名=一雄)を中心とする詩誌であり、後者は、国鉄浜松工場に勤務しつつ文学活動を続けた平山喜好の編集により、長期にわたって発行が続けられ、充実した内容によって全国的にも注目された文芸誌である。