[気賀百合子と新聞小説]

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【気賀百合子 小説「浜名湖」】
 戦後の浜松地方の文学活動として、当時創刊されたいくつかの文芸誌について見てきたが、他方、浜松地方で発行されていた新聞紙上での一人の女流作家の活躍があった。
 気賀百合子の連載小説「浜名湖」が、『浜松民報』(第四項参照)紙上に初めて登場したのは昭和二十六年五月十五日のことである。気賀は浜松市立高等女学校を卒業後、海音寺潮五郎主宰の『文学建設』同人となり、同誌上に作品を発表。その後『静岡新聞』に長編小説を二度にわたって連載する(昭和十八年「新しき富士」、同十九年「懐剣」)など、当地方では戦前から小説家として広く知られていた。『浜松民報』は、郷土人の作品で郷土紙を飾るという方針の下に、気賀の小説を連載することにしたものである。

図2-57 連載小説「浜名湖」

 「浜名湖」には、戦争末期、戦時ゆえの狂的衝動に駆られた若い航空兵少尉との間に子どもをもうけた一人の女性を巡って、戦後を生きる人々の様々な人生模様が、浜名湖を背景にして描かれている。作品の背後には、作者の熱い郷土愛が流れているのが読み取れる。連載は約半年間、第百六十四回で完結した。
 気賀は、この作品執筆当時三十七歳。浜松短期大学図書館の司書であった。この後、彼女は同紙上に歴史小説「三方原合戦」を連載する(昭和二十九年~三十年)などの活躍を見せたが、昭和三十五年八月、惜しくも四十六歳の若さで亡くなっている。なお、彼女は第三章で触れる文芸誌『麦』の同人でもあり、創刊号(昭和二十七年一月)に短編「無名作家の手紙」を寄せている。