山内泉 平松實 山根七郎治 相生垣瓜人 三行舎

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 山内泉は、秋田県出身で東京高等工芸学校木材工芸科卒。浜松工業学校教師として十余年勤務の後、昭和二十一年に退職し建築事務所を経営。彼の浜松での美術家としての活動は戦前に始まっているが、特に戦後の活動は幅が広く実に多彩である。芸術家としては、焼物・図案・衣装デザイン・舞台装置等多方面において活躍を見せる。ざざんざ織の平松實らと浜松工芸作家協会を設立し、文化書房(第八項参照)において展覧会を開催、これが、後に県西部美術文化協会へと発展する。昭和二十三年には、山根七郎治・相生垣瓜人と三人で、芸術団体「三行舎」を結成する。一方で、昭和二十二年四月、彼は市議会議員に立候補して当選、四年間議員として活躍する。翌年には、浜松ユネスコ協力会創立に当たって副会長に就任している。昭和二十八年には、第一回浜松市展の絵画審査員となり、以後、第十六回まで、絵画や工芸の審査員を務めた。文筆にも優れた才能を示し、昭和二十五年には、明治八年の遠州灘での英国船の海難事故に取材した放送劇を作成し、これを「ぢえいむすぺいとん号」(第八項参照)として一冊の本にまとめている。山内の、戦後の浜松の美術をはじめとする文化の向上に貢献した功績は多大であり、昭和四十六年市勢功労者として表彰された。同年に死去、享年六十一歳であった。

図2-64 山内泉のカット