浜松張子

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【二橋志乃 二橋加代子】
 浜松の代表的な民芸品である浜松張子は、旧幕臣三輪永保(ひさやす)が、明治の初めに江戸から移して始まったものである。この張子が、日本郷土玩具協会浜松支部の後援を受けた三代目制作者二橋志乃(永保の六女)によって復興されたのは、昭和二十年六月のことである。これより先、昭和二十年六月十八日の、米軍による浜松大空襲により、元魚町にあった工房は全焼し、木型・資材などが灰燼(かいじん)に帰し、浜松張子は完全に途絶していた。志乃はこの年十二月、浜松駅前にあった松竹山房において浜松郷土玩具展を開催し、自作の浜松張子の全作品を展示した。昭和三十二年一月には、浜松商工会館において浜松張子初春展を開催、この時点で古型により浜松張子の大部分は復元されている。この間、昭和三十年永保の長男二代目三輪永智が永眠している。昭和三十四年六月、浜松張子は浜松市教育委員会から市の無形文化財に指定された(志乃は無形文化財保持者)。志乃が亡くなったのは、昭和四十八年六月二十九日、享年八十三歳であった。なお、浜松張子制作の技術は、志乃の子息の妻二橋加代子(四代目)によって、今も受け継がれている。

図2-66 二橋志乃と浜松張子

 戦前、浜松出身の平松實によって創案され、静岡県を代表する工芸として全国に知られるざざんざ織は、戦後も平松自身と子息の哲司とによって続けられた。