[荘良江のピアノリサイタル]

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【荘良江 荘智世恵】
 戦後の浜松の音楽界で、ピアニスト荘良江の残した功績には大きなものがある。優れた演奏を幾度も披露し、多くの門下生を育てた。昭和三十年五月十四日付『静岡新聞』のインタビュー記事(『新編史料編五』 九文学 史料63参照)によれば、荘はもともと長唄や琴を習っていたが、小学五年生のころ、父親がある家で娘さんのピアノ演奏を聴いて感心し、彼女にもピアノを習わせるようになったのがピアニストになるきっかけであったという。浜松高等女学校から、東京音楽学校ピアノ科に進み、卒業後、戦争のため浜松に帰り、教場を設け後進の指導に当たるようになった。良い教師良い演奏家の両立が念願であった。昭和二十六年の『浜松民報』(十一月十二日付)に、「楽都にふさわしい研究発表ピアノ演奏会盛況」なる見出しの下に、荘良江の演奏会の記事が載っている。この時は、アルト四家文子、バリトン山田昌弘の二人の声楽家が参加しての演奏会で、観客に多大な感銘を与えたとして四家の祝福の言葉が紹介されている。荘良江門下生のピアノ演奏会は、浜松市公会堂を会場に毎年開かれ、長年にわたって続けられた。なお、国際的なメゾソプラノ歌手荘智世恵は良江の妹である。

図2-70 荘 良江