[人気の放送劇]

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【ラジオ 静岡放送局 浜松放送局 放送劇 渥美実 後藤一夫 渥美静一 浜松放送劇団 浜松放送児童劇団】
 後に述べるように、浜松地方においてラジオの普及率が五十%を超えるのは昭和二十二年。最高の九十一・三%を記録するのが昭和三十三年。再び五十%を切るのが昭和三十六年で、この年はテレビの普及率が五十%を超えた年でもある。このことから分かるように、戦後の昭和二十年代から三十年代前半にかけての、テレビがまだ一般に普及していない時代のメディアとして、ラジオの果たしていた役割は極めて大きかった。当時の史料を見ると、この時代は、NHKがローカル番組を重んじ、かなり力を入れていたことが知られる。静岡県の場合、静岡放送局と浜松放送局の二局が番組を担当した。「私達の郷土」、「ふる里の思い出」といった一般向けの放送(第一放送)と、学校放送(第二放送)とがあった。大きな特徴は、これらの番組が放送劇の形式で流されていたことである。浜松市立中央図書館には、当時のガリ版刷りのシナリオが大量に残されている。作者または構成者としては、渥美実の名が最も多く、後藤一夫、渥美静一の名も見える。「私達の郷土」には、「遠江と鎌倉時代の新仏教」(昭和三十二年)、「演劇にあらわれた遠江」(同三十三年)、「ふる里の思い出」には「浜松駅弁物語」(昭和三十三年)、「見付学校」(同年)などのタイトルを持つ作品が見える。学校放送は、小学校・中学校・高等学校の三部に分かれていて、静岡と浜松の両放送局が制作を担当したのは、小学校の中学年向けと高学年向けの十五分番組であった。後者の作品には「伸びゆく郷土」として「染色工場(浜松の巻)」、(昭和三十二年)「軽オートバイ工業(同)」(同年)、「郷土のあゆみ」として「むかしの村」(昭和三十三年)、「賀茂真淵」(同年)などが残されている。これらのシナリオを読むと、子どもたちの関心を何とかして郷土へ向けさせたいという熱意と、何とかして番組に子どもたちをひきつけたいとの苦心の様子とが伝わってくる。通俗に陥ることなく目的を達成するのは容易ではなかったと想像されるが、当時の制作者たちの真摯な姿勢には心を打たれる。なお、これらの番組に出演したのは、後述する浜松放送劇団と浜松放送児童劇団の人々であった。