[浜松地方のラジオ普及率]

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【浜松放送局 ラジオの普及率 テレビの普及】
 現在の浜松市東区大蒲町の地内に、浜松放送局が開局したのは昭和八年(一九三三)七月十九日のことである。周波数は六百三十五キロサイクル、出力〇・五キロワット。遠州地方一帯に「JODG、こちらは浜松放送局です」というアナウンスで電波が発射された。当時の遠州地方(大井川以西)での、ラジオの普及率はわずかに八%弱(一万九百七十六世帯)。この数字が確実に伸びて昭和十六年には五十%を超える。戦時中、一時下がるが、再び五十%を超えたのは昭和二十二年のことである。以後、昭和三十二年には八十九%。この年の九月、浜松市などで第十二回国民体育大会が開催されたが、この模様は浜松からラジオで全国中継された。翌三十三年、ラジオの普及率は最高となる(九十一・三%)。しかし、この年を境に下がり始め、昭和三十六年には五十%を切る。この現象は、昭和三十四年十二月のNHK浜松総合テレビ開局によってもたらされた、急速なテレビの普及によるものであった。昭和三十六年は、テレビの普及率が五十%を超えた年でもあり、テレビ時代の到来を告げる年でもあった。