『ぢえいむすぺいとん号』

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【山内泉】
 明治八年八月十日、遠州地方を猛烈な台風が通過した。この時、ちょうど遠州灘を航行中の船が遭難し、現浜松市の表浜中田島地続き、当時の長上郡福島村の海岸に漂着した。船は、英国の貨物船ヂエームスペートン号六百トン。船長夫妻以下十四名の乗組員は、当時の村の庄屋山田斧治郎を中心とする村民の懸命の救助作業により助けられ、以後、村での約一カ月の療養生活の後、故国に帰還した。この史実が、昭和二十五年に一編の物語として一冊にまとめられて刊行された。作者は山内泉で、彼の芸術家としての、また文化人としての幅広い活躍については、先に第五項において記した通りである。
 本書成立のいきさつは、冒頭の「ことば」に詳しい。まず、前半の「砂丘」が、放送物語として昭和二十五年三月二十二日に十五分番組として浜松放送局から放送され、五月二十八日に後半の「星座」が三十分番組として放送された。その後、前半後半を合わせて一冊とし、その年の七月に限定千部として出版されたのが本書である。装丁・扉・カットはもちろん山内自身の手になる。内容的には、前半が船の遭難当時の暴風雨と救助の様子、後半は、救助された船長はじめ乗組員の一カ月にわたる療養生活と村民(特に庄屋山田家の人々)との交流が中心となっている。前半は緊張感に満ちた迫力ある描写、後半は叙情味豊かな仕上げとなっていて作者の文学的才能がしのばれる。全編、口伝をもとにしながらも、資料に基づいて史実に忠実であろうとする姿勢は好感が持てる。

図2-76 『ぢえいむすぺいとん号』