[浜松ロータリークラブの活躍]

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【浜松ロータリークラブ 浜松東ロータリークラブ】
 ユネスコへの加入の動きなど、日本が国際社会とのかかわりを深める中で、浜松ロータリークラブも、念願の国際ロータリーへの復帰を果たしている。昭和二十五年のことである。
 日本に、最初のロータリークラブとして、東京RC(ロータリークラブ)が誕生したのは大正九年(一九二〇)。浜松RCの誕生は昭和十一年二月四日。(この年の二月二十八日にロータリー本部(RI)の承認を受けた。)RI登録番号は3923番。しかしその後、日本が戦争への歩みを進める中で、各地のクラブは解散に追い込まれていった。その中で、浜松RCは日本で最も遅くまでロータリーを守り続けたクラブであった(昭和十六年八月解散)。『浜松ロータリークラブ50年史』(昭和六十一年、浜松ロータリークラブ発行)は、浜松RC五十年間の歴史をまとめた大変な労作であるが、その第一部「創生から再生へ」に、クラブの誕生・脱退・復活の歴史が詳述されている。この中で、筆者の斉藤和雄は次のような感動的な言葉を残している。
 
 浜松RCは、あの厳しい時代に日本中でただひとつロータリーを守りつづけたクラブであったことを今も誇りとしている。戦争末期に、あるいは圧力に屈し、あるいは時流に投じて早く解散していった各地のクラブの立場はよく理解しつつも、最後まで頑張った浜松の先輩ロータリアンの勇気と信念は、浜松RCの誉高い伝統として今も生きている。
 
 『50年史』によれば、まず昭和二十二年四月、東京にロータリー復帰協議会ができ、様々ないきさつを経て、浜松がシカゴ本部の再承認を得ることが出来たのは昭和二十五年二月六日のことである。登録番号は創立時と同じ3923番、国内で二十三番目である。そのチャーターナイト(認証状伝達式)が、浜松市公会堂で執り行われたのは同年九月五日。この時点での会員数は三十三名であった。『50年史』巻末の年表によって、浜松RCの当時の活動内容の一端を記せば「戦災孤児百名を舘山寺、動物園、凧揚祭に招待」(昭和二十七年五月)、「年末福祉施設への寄付として孤児へ古書籍多数贈呈」(昭和二十八年十二月)、「ロータリー仔豚を農村に寄贈し、子豚奨学制度を発足させる」(昭和三十一年十一月)といった記事があり、時代を思わせられる。文化的な事業として、浜松RCが蜆塚に縄文復元住居を建設し、浜松市に寄贈したのは昭和三十二年のことである。この年に、テリトリーの変更が行われ、浜松東ロータリークラブが結成された。以後、会員の数も増え(昭和三十四年時点で五十五名)、着実な歩みを続け今日に至っている。