[浜松ライオンズクラブ]

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【浜松ライオンズクラブ 谷政二郎 西川熊三郎】
 ロータリークラブと並ぶ、民間の社会奉仕団体ライオンズクラブの日本での活動が始まったのは、昭和二十七年のことである。クラブはまず東京に生まれ、浜松ライオンズクラブの結成はそれから三年後の昭和三十年十二月であった。結成時のいきさつと、クラブのその後の活動については『浜松ライオンズクラブ50周年記念誌』(二〇〇六年刊)に詳しい。
 結成に当たっては、当時の松菱百貨店社長谷政二郎の果たした役割が大きかった。谷の常住する京都では、すでに昭和二十八年に、ライオンズクラブは結成されていた。その活動内容に精通していた彼は、実業家の社会奉仕活動の重要性を痛感し、浜松での組織結成を目指す。昭和三十年の夏ごろ、谷はまず松菱の監査役西川熊三郎に思いを伝える。谷に賛同した西川は、計画の推進役として当時の若手実業家三輪信一を選んだ。この二人を、松菱の山本頼次専務が行き届いた配慮によって支えた。京都クラブ、国際本部の協力と助言、また松菱の監査役山岸勇次郎(浜松ロータリークラブ会員)の協力により、計画は短期間のうちに着実に進められ、昭和三十年十二月十日、会員七十三名により浜松ライオンズクラブの発会式が挙行された(チャーターナイトは、翌三十一年六月二日)。日本で十六番目の出発であった。
 以後、クラブは「われわれは奉仕する」をモットーに、アクティビティ(奉仕活動)を続け確かな歩みを見せている。