町村長と町村議会議員、知事と県議会議員の選挙も昭和二十六年四月に行われた。浜名郡のうち町村長選挙が行われたのは和地村・三方原村・赤佐村、引佐郡では都田村で、町村議会議員の選挙は浜名郡では入野村・小野口村・北浜村・三方原村・可美村・積志村で、ほとんどは無投票当選であった。知事選では昭和二十六年一月以降、小林知事と小林知事の下で総務部長を務めていた斉藤寿夫が知事選に立候補を決意し、それぞれ自由党の公認を申請していた。いったんは小林知事が公認となったが、各地で斉藤支持の声が起き、党内を二分する猛烈な抗争が起きた。四月三日は知事選の立候補の受け付け、この日に届け出たのは小林と社会党公認で浜名郡三方原村の聖隷保養農園の長谷川保の二名、四日に斉藤も立候補して三人に、そして五日には自由党の公認が斉藤になるという逆転劇が起きた。小林知事は中央の決定に涙をのんで九日に立候補を断念せざるを得なくなった。保守の一本化により、長谷川は西部で健闘したものの斉藤寿夫が民選二代目の知事となった。県議選で浜松市の定員は四名、これに対し自由党四、社会党一、民主党一の六名で争うことになった。当選を果たしたのは自由党三名、社会党一名であった。