公園

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 戦前の浜松で極端に不足していたのが公園であった。当初の計画では大小合わせて三十五カ所、緑地十カ所、総面積七十万坪余となる予定であったが、都市計画区域の相次ぐ縮小などにより、区域内で昭和二十九年度までに完成したのは公園四と緑地一という状況であった。昭和二十三年度から建設が始まったのは野口公園(今の静岡文化芸術大学一帯)、和地山公園、浜松城公園で、様々な施設が整えられた。昭和二十六年度から新川西岸の新川緑地、市役所の移転などにより誕生した五社公園などの整備も進んでいった。
 
【浜松城公園 中日本観光事業株式会社 空中ケーブルカー】
 浜松城の跡地は明治以降に払い下げとなり、その多くは私有地であった。このため、浜松城公園建設に当たっては多くの民家の移転が必要であった。天守閣の跡地も旧家の私有地であったが、昭和二十八年に中日本観光事業株式会社がここを取得し、同年七月十二日から動物園との間を空中ケーブルカーで結んだ。当時はこのような空中ケーブルカー(ロープウエー)は珍しく浜松の新名所となっていたが、浜松市がここを買収して浜松城を再建するのはまだ先のことになる。野口公園は名古屋地方専売局浜松支局の工場であったが、戦災で焼失して移転したため、公園とし児童遊具やテニスコートなどが整備された。
 
【浜名湖県立公園 弁天島水族館】
 浜松近郊の浜名湖は浜松市民の行楽地であり、弁天島や舘山寺、瀬戸などの景勝地に恵まれていた。しかし、観光施設に乏しく、観光客の数は伊豆や箱根、富士山麓には遠く及ばなかった。浜名湖周辺の町村は浜松市も巻き込んで浜名湖を県立公園にするよう県に働き掛けた結果、昭和二十五年五月十一日にようやく浜名湖県立公園が誕生した。浜名湖の湖面全域と周辺の舞阪町・新居町・北庄内村・南庄内村・村櫛村・和地村・伊佐見村などのほか、浜名湖には接していない白須賀町や奥山村など十七カ町村の一部がその区域に指定された。静岡県は舞阪町に県営弁天島水族館を昭和二十九年九月十一日に開館させた。龍宮城を模した階上展望台と立体水族館、円形水族館、遊園地などがあり、当時は弁天島が浜名湖で最もにぎやかな観光地であった。舘山寺の大草山には展望台、湖岸には休憩舎を建設したが、県が浜名湖の観光開発に本格的に乗り出したのは昭和四十年代以降のことになる。