[『広報はままつ』の発刊]

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【『広報はままつ』 『浜松市報』】
 岩崎市政が誕生して一年四カ月後の昭和二十七年九月十五日、浜松市は『広報はままつ』を創刊した。これまで浜松市の政治や警察、消防、教育などの状況を市民に伝える手段としては『浜松市報』があった。ただ、これは条例、予算、人事、監査報告など市民生活に直結するものでなく、また、配布場所も限られていたため、これによって市政を身近に感ずる人は少なかった。豊橋市の『広報とよはし』が創刊されたのは昭和二十二年、静岡市の『広報しずおか』は昭和二十五年であったが、いずれも初期は回覧であった。磐田市の広報紙の誕生は昭和二十四年のことなので、浜松市のそれは、ほかの都市に比べて早いというものではなかった。岩崎市長は「発刊のことば」の中で、「…市民の中から選ばれた四〇人の代表者によつて市民の福祉の増進と生活の向上を図り公正な市政を行うための定めをするのでありますが、それを聴いていたゞく機関として生れたのが、此の『広報はままつ』であります。」と述べ、「あらゆる面から是非知つておいていたゞかなくてはならないこと、又市民の生活の利益となることを重点に掲載して御愛読願う機関紙といたしたく、念願している次第で…」と記している。
 以来、『広報はままつ』は浜松市政を知る市民の月刊の情報紙として歩んできたが、昭和三十二年四月からは毎月五日と二十日の月二回の発行となった。ちなみに創刊第一号の内容は、天竜東三河地域の総合開発計画、成人学校の状況、新農薬の殺虫能力、母子寮開設、狂犬病の予防注射、市役所の配置図と仕事の内容などであった。

図3-2 『広報はままつ』No.1