【浜松市役所】
浜松市役所は焼け跡に浜松市在郷軍人会が使用していた旧演習廠舎を移築したもので、その腐朽の度と狭隘が問題となっていた。坂田市政下の昭和二十五年十月、予算七千万円を議決し、初年度は建設資材の購入などに充てた。岩崎市政下の二十六年五月に市庁舎建設特別委員会ができ、七月に基本設計は久米建築事務所に決定、十一月に大林組、竹中工務店、大成建設、清水組の四社で入札が行われ、九千三百九十万円で清水組が落札、同年十二月十八日に起工式を挙げた。同二十七年八月八日に上棟式を挙げ、調度品の選定に入った。議場の椅子は東京の寿商店に、その他一切の調度品は日本楽器製造株式会社のものとし、起工からちょうど一年後の昭和二十七年十二月十八日に落成式を挙げた。総工費は一億八千万円、元城町に出来上がった庁舎は玄関の位置が建物から大きく出ていて、南北に長い東面とその南端から西に短く延びた南面の建物からなり、上から見るとL字型となっていた。玄関の上の二階は市長室や助役室など、三階は大会議室、四階は市議会の議場であった。玄関の裏手には高さ三十メートルの望楼がそびえ、望楼では火災発見のための巡視が行われた。当時これだけ大きく堂々とした建物は珍しく、浜松市役所は〝白亜の殿堂〟と呼ばれた。江戸時代を通じて政庁が置かれ藩政の中心地であったこの地に、市役所が出来たことは市民の話題となった。市役所の各課の引っ越しは十二月二十一日から行われ、二十二日から新庁舎での業務が開始された。