[交付金と機構改革]

498 ~ 499 / 900ページ
【地方財政平衡交付金制度】
 昭和二十六年四月二十五日から開始された第一期岩崎市政のころは、全国の七十%以上の都市が赤字財政に悩んでいた。地方財政の苦しい市町村にとって唯一の頼みは地方財政平衡交付金制度であった。これは毎年五月・七月・十月・一月の年四回、基準財政収入額が基準財政需要額より少ない地方公共団体へ交付されるもので、同年九月末に設定基準の変更が行われた。静岡県の場合は市部に厚く、人口の少ない町村部は減額したので、弱小の町村は青息吐息の状態となった。県下十二都市のうち仮交付基準額が二十五年度に比べ二十六年度が増えたのは浜松市など七都市であった。その多くは財政需要の増加、警察・戦災復興関係費の増額が主な理由であったが、浜松市のそれは収入減によるものであった。浜松市の産業の主力であった織物業のいわゆる〝ガチャ万景気〟がこの時期には終わり、昭和二十七年ごろから不況が続き、市の財政に及ぼす影響が出てきていたのである。市は税務の円滑化を期し、二十七年十一月一日から税務課を課税課と徴税課に分け、徴税課には徴税係と滞納整理をする整理係を置いたほどであった。浜松市の税金の滞納額は二十七年十一月末で一億三千万円に上っていたのである。このころは国税でも滞納が多く、浜松税務署は休日を返上して滞納整理に全力を挙げていたほどであった。
 
【財政事情報告 地方交付税交付金】
 昭和二十八年度上半期の財政事情報告によると、市は徴税機構の改革や拡充強化とによって徴税に努力した結果、収入は前年比約四十五%もの増加となったとある。ただ、人件費の総予算に占める割合は三十七%にも及び、退職者の補充を極力抑えるなどの方針を貫いていた。ほとんどの市町村が交付金を受けていた昭和二十七年から二十八年にかけて、天竜川以西では鷲津町・北浜村・可美村・入野村は不交付団体であった。これは町村内に工場が多く、財政に余裕があったからである。なお、地方財政平衡交付金は昭和二十九年に地方交付税交付金と改称された。
 市役所の機構改革は昭和二十九年十月にも行われた。税務部の新設をはじめ、自治体警察の廃止で議会の委員会などにも変更があった。また、教育委員会では社会教育係が課に昇格するなど大幅な改革となった。当時、市長直属の課としては、秘書・総務・企画・衛生・労政・市民・主税・市民税・資産税・徴税・商工・農務・土地改良・土木・都市計画・建築・会計の十七課があった。