[日本都市学会による浜松市の総合調査]

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 浜松市は昭和二十九年に隣接の八カ町村を合併し、今後さらに市域の拡大が見込まれていた。また、待望の天竜川の総合開発事業も始まっており、将来は商工業を中心とした大都市に発展していくことも期待された。
 
【浜松市総合調査委員会】
 こうしたなか、浜松市は将来の発展計画を立てるため、歴史・地理・資源・社会生活・産業・経済・行政・財政・都市計画の全分野にわたってあらゆる角度から科学的診断を行う必要を認め、昭和二十九年十二月に日本都市学会へ調査を依頼した。調査に当たったのは日本都市学会会長の奥井復太郎を長とする浜松市総合調査委員会で、委員は磯村英一、幸島礼吉、木内信蔵ら、大学教授や都市政策の専門家など三十名余であった。委員の第一回現地視察は昭和三十年一月十二日より三日間行われた。この調査は日本における初めての企画として、日本都市学会が会員を総動員して純粋に科学的立場から二年有余にわたって行われた。この調査においては現地視察や講演会、アンケート調査、研究会などが何回か開催され、中間報告書も刊行された。そして、昭和三十三年三月三十一日に本報告書が刊行された。この刊行を機に同年四月二日に市役所で調査結果の報告会が開かれ、調査団長を務めた奥井復太郎慶應義塾大学学長、磯村英一東京都立大学教授、高山英華東京大学教授からそれぞれ説明が行われた。
 奥井団長は「浜松市が川崎、八幡などの都市と同様に、各県の政治の中心から離れながらも今日の発展を見た事は特異性があり驚異的でもある。しかし今後の発展のためには、いたずらに背伸びすることなく基盤を広くして国際経済につながる日本経済機構の中で発達して行く実状をよく認識して、敏感に時の流れを見極めなければならない。また同時に浜松市の背後地の関係や市民や事業団体のよりよき協力を得てこそ発展を期すことが出来る」と述べた。磯村教授は「…四十万都市へ前進するには、新しい発展の基盤を醸成する必要がある。」と述べ、浜名湖との関係を密接にすること、天竜川のダムを中心にした産業都市にすること、新東海道線や日本縦貫道路を利用して産業や観光に力を入れること、また、都市計画の推進を挙げた。高山教授は当面の都市計画について講演した(『静岡新聞』昭和三十三年四月三日付)。
 
【『浜松市総合調査報告書』】
 この調査結果は『浜松市総合調査報告書』として刊行されたが、内容は総括編として第1編「地域社会の特質」と第2編「浜松市の発展対策」、各論は「地理と資源」、「生活構造と社会的性格」、「産業と経済」、「観光問題」、「市民所得と財政」、行政の諸問題」の六編に分かれ、総合計画の必要を説き、細部まで鋭い指摘がなされていた。

図3-5 『浜松市総合調査報告書』