[岩崎豊の再選]

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 昭和三十年(一九五五)四月の浜松市長選には岩崎現市長のほか、雪辱を期す坂田前市長、中津川県議らの名前があがっていた。その後、戦前に市長を務めた横光吉規の名前が出たが、同年四月二十五日に遠労会議が岩崎支持を決めると、横光は立候補を取りやめて坂田支持に回り、結局は宿命の岩崎・坂田の戦いとなった。選挙前の予想では両者は五分五分ということであったが、結果は岩崎の六万六千票余に対し、坂田は五万三千票余と一万三千票もの大差で、岩崎の勝利に終わった。岩崎は当選後の会見で、市民に公約した舞阪や新居までの合併を実現し、港のある浜松とする、遠信鉄道の実現、天竜川総合開発による電力、工業用水をもとに大工場の誘致に努めたいと話した。この市長選は宿命の対決とあって市民の関心が高く、投票率は八十七・五%に達した。