[市議会の動向]

511 ~ 514 / 900ページ
【市議会】
 市議会議員選挙も市長選と同じ日に行われたが、定員四十人に対して九十人もの立候補者があり、二・二五倍もの激戦となった。この選挙では中心部からの立候補者が苦戦しているのに反し、合併町村から出た候補者は旧町村の人々が団結しているので比較的強いとされた。しかし、激戦のため番狂わせも多かった。この選挙は市長選同様投票率は八十七・五%、身近な人たちの選挙とあって関心が高かった。入野村の村議選の投票率はなんと九十八%、可美・積志の両村は九十五%にも及び、政治への関心が高かったことが分かる。
 浜松市議選で当選した無所属議員二十六名は市政が党利党略によって左右されることを恐れ、昭和三十年五月十日に親睦団体の十日会を結成した。これにより、同年五月の議長選では同会の推す大林稔が議長に、副議長はもめにもめたが、最後は議長の指名推薦で立石健になった。翌三十一年になると、十日会が議長・副議長を内定して議会に臨むことに不満を持つ中立系の議員が五月に月曜会を結成した。結局、議長は十日会の推す大林の再選となり、副議長も立石の再選となった。この時、市議会の勢力分野は十日会二十五、月曜会八、革新系六、中立一であった。昭和三十二年五月の議長・副議長選を前に、十日会から立石と同氏を支持する議員六人が脱会して火曜会を結成した。この時点では十日会十八名、月曜会九名、火曜会七名、革新系の弥生会が六名となり、月曜会と火曜会が結び、さらに弥生会にも手を伸ばせば十日会を上回ることになりそうな形勢となった。
 
【市議会各派の対立】
 五月十五日に開かれた市議会では各派の対立が深刻となり、元議長が仲介に入り、大林議長が適当な時期に引退することを条件に大林議長、立石副議長の三選が夜中の十一時を過ぎて決まるという混乱ぶりであった。適当な時期とは同年九月二十二日から二十五日まで開催される国体の終了後の適当な時期ということであった。大林議長は十二月十日の議会運営委員会で十二月の定例会で辞任することを表明し、後任議長は各派で人選し、その人を私に推薦させてもらいたいとの意思表示をした。これについて『静岡新聞』は「大林議長辞意を表明 荒れるか浜松市議会」の大見出しの下、後任議長をめぐる争いと混乱ぶりを報じた。後任議長には月曜会の戸田議員が最有力で、大林議長の属する十日会もこれに同調していたが、火曜会の立石副議長が立候補を表明して決戦も辞せずとした。そして、十二月二十日、議長は決選投票に持ち込まれ、月曜会の戸田利勝が議長に就任した。
 昭和三十三年六月になると早くも後任議長の選出問題で紛糾することになった。十日会は大林前議長の再選、月曜会は戸田議長の留任、火曜会は立石前副議長を推して多数派工作に狂奔した。九月の議長選出の時期になると、各派の多数派工作は革新系まで巻き込んで混乱、そして、多数派工作を消すために月曜会と火曜会は会派の解散届を出すまでになった。新聞や市民はこれらの抗争を批判することしきりだった。十月八日になって後任議長には十日会の川合小四郎を、副議長には旧月曜会の牧野英司を選出した。これら一連の動きを見ると会派の対立の構図はその都度目まぐるしく変わり、市民もあきれるほどであった。
 
【議長の一年交替】
 こうした市議会の状況について昭和三十三年六月十八日付の『静岡新聞』は「…醜いまでの議長争いを展開した最大の原因は、議長は市議会の代表という本質的な公的な意味を忘れて、議長という名によつて個人の名誉欲を満足させようといつた私的な野心が市会議員の中に流れていることと各会派が本当に政治的なイデオロギーで結ばれたものでなく、個人的な利害関係、感情的な集合体であることが挙げられている。浜松市議会の場合は全国各地方自治体でも見られるように、議長は一年交替という紳士協約があり、出来るだけ多くの市議各会派の欲求を満足させようとしているようだ。市民から選出された市議の中心となり議会を代表する議長は、このような取引や個々の希望でスゲ替えられる性質のものではなく、四年の任期一杯勤めることが理想的であり、不文律的な協約が今回の混戦を招いたともいえる。」と記している。昭和三十三年十月九日付の『静岡新聞』は浜松市議会最終日の記事を大きく伝えているが、「…九月定例会は終了したが、何時もながら会期中の動きはほとんど役員選出問題にからみ、本会議場でジックリ腰をおろして市政について論戦するといつた審議風景は見られなかつた。」と記している。
 浜松市議会はこのように議長選をめぐって保守派の内紛や政策論議の乏しさなどで市民や報道機関から厳しい批判にさらされていたが、これより以前にもいろいろな問題があった。
 
【全員協議会】
 昭和三十年二月、市役所内にある浜松市元城記者クラブは全員協議会の在り方を批判する声明を出した。それは、全員協議会を重要審議と称して地方自治の通例に背反して秘密会とし、市民はもちろん、市政担当記者の傍聴を拒否していることに対するものであった。これは地方議会の民主的な運営を妨げ、健全な地方自治制度の確立を危うくするものだとし、市議会の全員協議会の公開を要求するものであった。同年四月には浜松市を愛する会が市の公会堂で市民大会を開き、市議会議員の歳費を半額にすること、お手盛り旅行を廃止すること、議員を職業ではなく名誉職とし市民の公僕であるという認識を深めること、歳費の節減で四年間に浮かぶ約四千万円を社会福祉と学校教育の面に振り向けることの四点を議決し、全立候補者にアンケートをし、監視することにした。