[永久橋の建設]

522 ~ 523 / 900ページ
【永久橋 川田橋 瓜内橋 三島橋 中田島橋 江之島橋 四郎五郎橋 西塚橋 浅田橋】
 浜松では、昭和二十年代までの橋は市内の中心部や国道、主要な県道などを除いてほとんどが木造の橋であった。貨物を満載したトラックがこのような橋を渡ると大きな揺れが来たり、中には崩れ落ちる橋も出てきた。郊外での橋が永久橋になっていくのは昭和三十年代に入ってからである。馬込川に架かる川田橋が鉄筋コンクリートの橋に変わったのは昭和三十年、続いて同じ馬込川に瓜内橋がコンクリートの永久橋となったのは翌三十一年のことであった。この少し上流の三島橋は幅員六メートルの堂々たる最新式のPSコンクリート桁橋による永久橋、この完成は昭和三十二年のことである。中田島砂丘に通じる中田島橋は川幅の広い馬込川に架かるため、江之島橋と並んで百メートルを超える長い橋であった。中田島橋は老朽化が進み、昭和三十一年から車両の通行が不可能となっていた。この橋がPSコンクリート桁の永久橋として竣工したのは昭和三十三年であった。駅南の工業地帯にある四郎五郎橋は鉄工・織布関係の車両の通行が多く、木橋では耐えられなくなってきた。PS式コンクリート橋になったのは昭和三十四年に入ってからである。芳川に架かる西塚橋と新川最下流の浅田橋が鉄筋コンクリート化されたのは昭和三十四年四月、このころ、学校も橋と同様に鉄筋コンクリートの建物となっていくのである。ただ、本格的な自動車時代を迎える前のことなので、幅員が五メートルから九メートル程度であった。

図3-6 中田島橋