[健民運動と町を住みよくする運動]

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【健民運動 浜松花の会】
 昭和三十二年開催の静岡国体では「選手だけの競技大会であってはならない」とのことで、県や市町村、民間団体などで健民運動が始まった。これは、〝いつも親切運動〟、〝右側を歩きましょう運動〟、〝青少年体重増加運動〟、〝花いっぱい運動〟など七つの運動からなっていた。これは県外から多くの選手や関係者を温かく迎えようとの意味も持っており、昭和三十二年三月から健民運動が本格的にスタートした。これより半年前の昭和三十一年九月二十二日に浜松花の会が出来た。花の会は全国的には松本市に先例があるが、県内で全市を挙げての会は初めてであった。この花の会は道路脇へ花を植える、花壇コンクールの実施、市花の選定、植物園の開園などを目指して活動を始めた。そして、国体では市役所前のグリーンベルト作り、商店街の移動花壇作りのほか、会場入口に花のアーチを作るなど、多彩な活動を展開した。浜名郡積志村川原本村は山羊の村として知られていたが、全戸が山羊を飼って山羊乳によって栄養改善に取り組んだ。普段はお茶がわりとして、また、子どものおやつとして利用されており、地元の薬局が上がったりになっていると『県民だより』に健民運動の一例として紹介された。
 
【町を住みよくする運動】
 浜松市で町を住みよくする運動が始まったのは国体終了後の昭和三十三年、この運動の主体となる町を住みよくする会が出来たのは同年七月十八日であった。岩崎市長は、浜松市が中部地方で第三位の大都市になり、施設も着々完備しつつあるが「近代都市、文化都市というにはなお未だしの感があるのであります」と『広報はままつ』(昭和三十三年七月二十一日号)に記している。そして具体的運動として次の四つを挙げた。
 
一、会合時間を守る運動
一、衛生害虫とねずみをなくする運動
一、犯罪と交通事故をなくする運動
一、騒音をなくする運動
 
 この四つの運動は全市民相互の自覚と良識で強力に展開、実践しようと市、警察、保健所、市内の各自治会・婦人会・青年団など多くの団体の協力を得て行われることになった。この運動は市内すべての地区で行うため、町を住みよくする会は地区自治会連合会の数に当たる二十九の支部と、各町の自治会の数に当たる三百二十九の部会でもって構成され、会長には大石力自治会連合会会長が就任した。この会でまず実施されたのは衛生害虫駆除のための薬剤を全戸に無料配布することであった。具体的にはうじ殺し用のリンデン乳剤とぼうふら殺し用の石油を配布し、共同散布を繰り返していけば蚊とハエがいない衛生都市になるというものであった。当時、郊外の家庭では夏季になるとハエ取り紙をつるしていたが、数日のうちに紙が黒くなるほどハエの数は多かった。また、ほとんどの家では蚊取り線香を使い、就寝時には蚊帳を使用していた。また、ねこはネズミを捕るために飼っていた家が多かった。
 会合時間を守る運動では、出席簿を備え、各人の出席時刻を記入することなどを申し合わせた。犯罪と交通事故をなくする運動では交通規則の遵守、青少年の非行防止など、騒音をなくする運動では規定のマフラー装着、ジェット機の郊外飛行の完全実施、サイレンの吹鳴時間の短縮などが行われた。