[コンポストでのごみとし尿の処理]

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【コンポスト】
 市内で出るごみとし尿はこれまで酸性土壌の三方原開拓地にその多くが運ばれ、肥料として使用されたが、化学肥料の普及により年々消化量が減少していた。これにより収集したごみとし尿の処理に苦慮するようになった。浜松市はこの根本的な解決手段として大規模なし尿じん芥高速堆肥化装置を建設することにし、昭和三十三年十月から試運転を開始するまでになった。この装置はコンポストと略称され、全国では平塚市に次いで二番目、規模は全国最大のものであった。建設地は三方原台地の初生町、長さ二十三メートルの醗酵槽機械が中心で、一日にごみ五十トン、し尿三十五トンが処理され、数日で堆肥化されるというものであった。この処理量は市内で一日に排出されるごみ・し尿約百四十トンの六十%に当たっていた。堆肥は一日三十五トンの無菌のものができ、農家に安価で供給されることになった。汚物の終末処理と非衛生問題の解決、そして農業生産の向上に役立つという正に夢の機械であった。ただ、堆肥にならないガラス、瀬戸物、ビニール、金属などはコンポストに入れる前に選別するが、一般の家庭では別の容器に入れるように広報紙で要望した。ごみの分別収集の始まりであった。昭和三十四年度の実績では全市から回収した六千四百トンのごみの中から三千二百トンの堆肥を作り、市内の農家にトン当たり六百五十円(当初は九百円)で販売した。堆肥は主に三方原地区や都田地区の開拓地の土壌改良に使われたが、農家では二カ月もかかる堆肥が四日間で作られ、いつでも間に合うということで農家には好評であった。