【浜松東警察署の焼失】
浜松東警察署は昭和三十一年に浜松北警察署管内の一部を合併したため、庁舎が手狭となり、旧浜松北署(元城町)に東署の刑事課を分置、相生町の東署と二カ所に分散して仕事を進めていた。これを解消すべく、東警察署は新築工事の起工式を三十二年三月五日に行った。計画では一期工事として留置場・道場・車庫を建設し、その後鉄筋二階建ての近代的な新庁舎を建てることになっていた。四月に道場と車庫が完成し、五月には道場開きと西部地区の各署対抗柔剣道大会が開かれた。そして、新庁舎建設のため旧庁舎を取り壊すことになり、同年九月から全業務を元城町の旧浜松北署で行うことになった。浜松東署の新築工事は順調に進み三十三年三月下旬に完成、三月二十二日付の『静岡新聞』は「ガラス張りで正面はモダンで明るく、むかしの警察の建物にありがちだつた〝暗い感じ〟は全くない、福本署長も『これなら名実ともに〝民主警察〟のモデルになれるでしよう』と喜んでいる。」と報じている。相生町の新庁舎への移転を翌日に控えた三十三年四月十四日午後三時過ぎ、浜松東警察署から出火、火は強風にあおられて東署を全焼、隣接の浜松税務署も全焼させ、飛び火によって常盤幼稚園も全焼する戦後最大の大火となった。この火災は昼に発生したこともあり、野次馬が五万人も詰め掛け、消火活動に支障を来すなどの間題も起きた。この火災のため、東警察署の新庁舎への移転は遅れ、落成祝賀式が行われたのは同年七月二十三日のことであった。