浜松の復興とともに交通量は飛躍的に増大したが、それに伴って交通事故の件数も増えた。昭和二十六年における市内の交通事故件数は百二件、それが翌年には二百二十件と二倍を超えた。それが二十八年になると半年足らずで百四十件となった。この対策として、浜松市公安委員会は浜松市の中心部から二キロないし四キロまでの主要街道では最高時速を三十二キロとし、中心部では路上駐車を禁止することにした。昭和二十九年になると、浜松市警察署はスマートな白バイ四台を擁する機動警ら隊を創設し、三十二キロを超える車両の取り締まりに当たった。二十九年八月二十四日、浜松東署は浜松で初めてスピード測定器を使い、速度違反者を取り締まった。昭和三十年代からは交通事故はさらに増え、浜松中央署・東署の事故件数は表3-1のようになるなど事態は深刻となった。警察は各地でスピード違反の取り締まりを行ったが、浜松中央警察署では交通係として警部一、警部補一、巡査部長二、巡査六という極めて少ない人員だったため取り締まりを十分に行うことは出来なかった。
表3-1 交通事故発生被害状況浜松中央警察署
浜松東警察署
出典:『浜松市勢要覧』昭和34年版より作成
浜松東警察署
中央警察署管内 | 東警察署管内 | |||||||
発生件数 | 死者数 | 傷者数 | 物件損害額 (千円) | 発生件数 | 死者数 | 傷者数 | 物件損害額 (千円) | |
昭和31年 | 280 | 16 | 295 | ― | 93 | 7 | 80 | 5,968 |
32年 | 559 | 28 | 570 | 10,433 | 189 | 15 | 183 | 5,145 |
33年 | 657 | 31 | 677 | 10,846 | 252 | 20 | 241 | 5,258 |