[商店密集地での火災]

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【鍛冶町】
 昭和二十八年五月十五日午前四時過ぎ、鍛冶町の有楽街入口の飲食店から出火、火は密集した商店やパチンコ店など五軒を全焼した。この火災で火元の飲食店の三階で就寝中の家族六名が焼死するという大惨事となった。火元は一階で、階段や出入口全部が猛火に包まれ、逃げ道が無くなったことが大勢の死亡につながったようだ。
 
【東田町】
 一年ほど後の昭和二十九年三月二十六日午後一時過ぎ、浜松市東田町の綿糸商の住宅から出火、一瞬のうちに十四戸を全半焼した。白昼の火災でこれだけの大火になった原因は、放火で火の回りが早かったこと、人家が密集しており、道路が狭く消火設備が不完全であったためであった。多くの消防車が駆け付けたが、遠くの消火栓二つしか使えない有り様で、昼火事とあって狭い道路は野次馬がいっぱいとなり、消火活動に大きな支障となった。県は災害救助法を適用し、被災者に二日間の炊き出し、生活困窮者には衣類や寝具を支給した。