昭和二十九年七月五日午前三時半ころ、西伊場町の県立浜松西高等学校の北校舎から出火、浜松市消防署をはじめ付近各村より消防団が駆け付け、職員・生徒も駆け付けて必死の消火に当たったが、木造校舎二棟十八教室と十一部屋(二千五百平方メートル余)を全焼した。損害は三千万円に上った。同校は小高い山に建てられ、発見が遅く大事に至ったもので、その上、消火活動に不運が重なり思わぬ大火となった。それは三十台近い消防車が集結したが、北側の坂が長雨で地盤が緩んでいたため、二台の水槽車がスリップし後続の消防自動車が上がれず、東側の坂は創立三十年を記念し建設中だった新講堂の資材が進入路をふさぎ、結局六台しか消火に当たることが出来なかった(『濵松西高新聞』特報 昭和二九年七月七日付、『西山台に立つ』静岡県立浜松西高等学校同窓会発行)。
【火災保険】
火災直後の七月七日の『静岡新聞』に、火災保険の記事が取り上げられた。浜松西高は火災保険が全く掛けられていなかったが、当時の県立高等学校六十三校中、掛けてあるのは浜松工業高校・浜松北高校などわずか六校だけであった。その件に関し、県や県教育委員会は、財政的な余裕がなく、三千万円以上の物件に保険を掛けると一校当たり費用が九十万円かかるので、火災になっても延焼のおそれがないところには掛けていなかったという。しかし、この火災を契機に再検討を加えるのではないかと報じている。
図3-10 浜松西高等学校の火災を報ずる『濵松西高新聞』