[松城官庁街の大火]

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【浜松東警察署 浜松税務署】
 昭和三十三年四月十四日午後三時十分ごろ、新庁舎へ移転準備中の浜松東警察署から出火、十一メートルの強風にあおられてたちまち同署木造モルタル造りの庁舎四百十九坪(千三百八十二平方メートル)を全焼、隣接する浜松税務署の本館、書庫など三棟、そして道路を隔てて風下の常盤幼稚園の二階建ての園舎も全焼、飛び火はさらに有楽街の大映劇場裏・松竹座前、寺島町の民家にも及び、いずれも屋根を少し焦がすなど、戦後まれにみる大火となった。
 この火災に際しては、消防署の十台の消防車をはじめ、市内すべての消防団(三十五分団)の全消防車、さらに篠原・可美両村の消防団の消防車など六十台余りが集まり、懸命の消火作業が続いた。また、航空自衛隊浜松基地からは化学消防車を含む五台が出動するなど、消火活動に携わった者は千六百名に上ったが、強風下のことゆえ火の手が早く類焼を防ぐことが出来ず、合わせて千余坪(三千七十平方メートル)を焼失、損害額は三千六百万円にも上った。
 
【野次馬】
 この火災は白昼、しかも市の中心部の大きな官公署ということもあって、「五万人も押かけたヤジ馬」という新聞の小見出しのように、続々と集まる野次馬で付近は大混乱となった。ただ、静岡大火の二の舞になることが避けられたことは不幸中の幸いであった。
 火事の後、反省すべき点として市の消防長と消防団長は連名で次の二つを挙げた。その一つは水利の充実で、水道に全面的に依存することなく、プールや自然流水の活用、貯水槽、井戸などの補助水源の整備を急いでいきたいとしている。もう一つは野次馬を出さないことを挙げ、非常の場合は自衛活動に結集してほしいと訴えている(『新編史料編五』 二軍事 史料60)。
 この野次馬対策は、同年九月六日に消防本部・消防団、浜松中央・東両警察署の協議会で話し合われ、消火活動をより合理化するための火災現場取り締まりに関する申し合わせを決めた。

図3-11 松城官庁街の大火を報ずる『静岡新聞』