【保安隊】
昭和二十七年八月一日、従来の警察予備隊と海上保安庁海上警備隊を統合して保安庁が設置され、同日に警備隊が、同年十月十五日に保安隊が置かれ、定員も十一万九千人余に増強された。これは日本の独立(昭和二十七年四月二十八日)と日米安全保障条約で期待された防衛力増強のためで、治安維持を任務とする警察予備隊に比べて国家防衛の側面が強くなった。保安隊は任務遂行上必要な武器を保有することが認められ、特車(戦車)、百五ミリ及び百五十五ミリ榴弾砲(りゅうだんほう)等の火器、航空機として連絡機を保有することとなった。航空学校創設はそうした事情があったのである。
【保安隊航空学校 汾陽光文 ベーコン】
こうして開設準備を進めていた警察予備隊航空学校は保安隊航空学校となり、昭和二十七年十月十五日、浜名郡神久呂村の浜松陸軍飛行学校の跡地に開校した。木の柱には前日までの「米軍横田副基地」に代わって、「保安隊航空学校」と書かれた真新しい標札が掲げられた。同日朝、保安隊航空学校へ配属された二百名は十五台のトラックに分乗して市内を行進した後同校に到着、正午には航空学校の本部広場前に隊員約五百名が参列して開校式が行われた。式典では学校長汾陽(かわみなみ)光文一等保安正の訓示、米陸軍浜松顧問団長ベーコン少佐の祝辞などがあった。