[浜松北基地の誕生]

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【第一航空団 第二航空団 浜松南基地】
 昭和三十一年九月から航空団による本格的なジェット機の訓練が開始され、さらに十月一日には新たな航空団が誕生した。これ以後、最初の航空団は第一航空団と改称され、新たな航空団は第二航空団となった。第二航空団は戦闘任務を遂行する実戦部隊としての役割を担っていた。同日第一航空団にはこれまでの第一・第二の飛行隊に加えて第三飛行隊も誕生、これによりこれまでの浜松基地は手狭となり、基地の拡張が始まることとなった。拡張地は飛行場の北側一帯(浜松開拓と呼ばれた地区)を予定していたが、この浜松開拓のうち、東側は反対運動に遭い、西側の十万坪余となった(後述)。昭和三十三年に工事が完成し、八月一日第一航空団(第二航空団は前年九月に千歳に移動)が新設された基地に移ることになった。同三十三年八月一日に従来あった浜松基地は浜松南基地に、新設された基地は浜松北基地とそれぞれ名称が変わった。
 
【浜松北基地 T33ジェット練習機 F86Fジェット戦闘機】
 浜松北基地へのジェット機の移動は昭和三十三年八月十三日の午後一時、当時の様子を『静岡新聞』は「日本一の航空管制塔を中心に三むねの格納庫の前に広がつた幅百五十メートル、長さ四百五十メートルのジェット機係留場(エプロン)には、牽引車に引かれたジェットがつぎつぎに南基地から移動を始め、約一時間後にはT33ジェット練習機十五機、F86 (F86F)ジェット戦闘機六十六機計八十一機が移動を完了、新発足の浜松北基地はいよいよ本格的に第一航空団のホームグランドとしてわが国ジェット機のメッカとなつた。」と報じている。