[騒音問題]

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【防音装置 萩丘小学校】
 昭和三十一年九月、浜松に出来た航空団ではジェット戦闘機の操縦訓練が開始され、改めてジェット機が出すこれまでにない騒音に市民は驚いた。この点については、同年一月に基地を視察した船田防衛庁長官が「基地付近の学校には防音装置を施し、最隣接の学校は移転してもらうことなども配慮するなど出来るだけ市民に迷惑をかけないよう心掛けることを約束した。」と『静岡新聞』は伝えていた。九月二十九日になって浜松基地ではF86Fジェット戦闘機十五機を編隊飛行させて、学校、病院、市役所などの関係者を招き騒音調査を行った。さらに、十一月一日には基地に最も近い萩丘小学校で騒音測定が実施された。それによるとF86Fジェット戦闘機三機編隊が飛行場へ降下する場合は屋外で七十五ないし八十フォーン、一機の場合は屋外で五十フォーン、窓を開けた教室内では六十ないし七十フォーンが測定された。また、最も大きな騒音を出す離陸前のエンジン調整時は最高八十フォーンが測定された。基地側の話では、本格的な訓練に入ると一日六時間に延べ百機のジェット機が離陸するという(『静岡新聞』昭和三十一年十一月二日付)。八十フォーン以上になると授業に支障が出ると言われ、早急な対策が求められることとなった。調査の結果、萩丘小学校は二重窓の防音装置ではないものの増築中の八教室と古い校舎の二十教室も防音装置を施すことになった。市内の防音工事は昭和三十二年度の萩丘小学校が最初で、同三十三年度には同校のほか、上島・伊佐見の各小学校でも施工された。
 なお、萩丘小学校のPTAは三十二年五月に、安全な位置への学校移転、鉄筋コンクリートの校舎への改造、校舎真上や低空飛行の中止などを基地に要望している。騒音問題は学校ばかりでなく、周辺地域の住民にも大きな影響を与えたため、基地周辺ではさらに続けて実態調査が行われることになった。