[教育委員の選挙]

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【中村與資平】
 昭和二十七年十月五日に県の教育委員選挙が行われた。今回は浜松市から著名な設計家のが立候補したことで、投票率は浜松市では四十九%、県全体では五十六%となったが、やはり低調な選挙に終わった。中村は、関東大震災後の東京に多くの近代的な学校を設計したことで広く知られ、また、浜松にも誠心高等女学校をはじめ、浜松銀行集会所(今の木下恵介記念館)、遠州銀行本店(今の静岡銀行浜松営業部)などを設計している。地元ではほかに候補者がいなかったことなどもあり、十七万票余を獲得して当選、今後は学校建設に努力することやドイツ流科学教育の推進をしたいと述べた。町村の教育委員選挙も県と同じ十月五日に行われたが、盛り上がりに欠け、可美・篠原・村櫛・和地・伊佐見・神久呂・入野・積志・長上・和田・中ノ町・飯田・芳川・都田の十四村は無投票当選となった。選挙が行われたのは、三方原・南庄内・北庄内・吉野・笠井の五町村だけであった。選挙で選ばれた各町村の教育委員はすべて四人であった。