[村立幼稚園の開園]

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【幼稚園】
 市内外に幼稚園の設置が進み、特に周辺部の町村で公立幼稚園が誕生してくると、未設置の町村も幼稚園の開設に力を入れざるを得なくなった。笠井町が昭和二十六年(一九五一)に豊西村を合併すると、豊西地区にも幼稚園を設置することを決め、昭和二十七年四月十日に笠井東幼稚園が開園した。同年五月には吉野村に吉野幼稚園、二十九年五月に三方原村に三方原幼稚園、積志村に積志東と積志西の二幼稚園、三十年四月には伊佐見村に古人見・佐浜・伊左地の各幼稚園が出来た。伊佐見村の場合は昭和二十七年四月に伊左地の清水貫一が個人経営でいさみ幼稚園を開設、その後村当局から公立に移管したいとの要請を受け、二十九年に村立の伊左地隣保保育園となり、翌三十年四月に伊佐見村立伊左地幼稚園になった。伊佐見村は字の通り、伊左地・佐浜・大人見・古人見の大字があったため、ほかの大字にも幼稚園設置の動きが出て、二十八年に佐浜では佐浜隣保保育園がスタートし、三十年四月に伊佐見村立佐浜幼稚園に、古人見も同様に隣保保育園から同じ年代に古人見幼稚園になった。和地村では昭和三十年四月に明徳寺に私立の和地幼稚園が設立されたが、これは後に湖東村に移管される。三十一年四月には飯田・大久保・神ケ谷の幼稚園が誕生した。昭和二十五年四月に開園した宿芦寺幼稚園は村立に移管されることになり、昭和三十一年に南庄内幼稚園として再発足した。北庄内村の若葉幼稚園は舘山寺や鹿島に分園を設立するなど大いに発展したが、三十二年に堀江幼稚園が、翌年には白洲と鹿島も村立幼稚園となった。可美村でも戦後いち早く地蔵院や観照寺に幼稚園が出来たが、村立の可美幼稚園が誕生したのは昭和三十三年四月であった。都田地区では三十一年四月に龍洞院の本堂で都田幼稚園が、翌年には滝沢の四所神社の拝殿で滝沢地区の自治会が滝沢幼稚園を設立した。ただ、都田地区の幼稚園はその後保育園に変わっていった。その理由は忙しい農家が多かったため、保育時間を長くしてほしいとの要望が多かったためと言われている。このように戦後十年余りで周辺部のすべての地区に幼稚園が設立されていったのである。幼稚園はその後の児童数の増減などにより、分離・独立、統合などを繰り返し、名称も変わっていった。
 幼稚園誕生の裏には、戦後の苦しい時期、私財を投じて幼稚園設立に努力した多くの人たちがいたことを忘れてはならない。

図3-18 三方原幼稚園初生分園