【学校図書館 学校図書館法】
戦後にアメリカの軍政部の教育担当者が日本の学校を視察して驚いたのは学校に図書館がないということだった。アメリカは世界一の図書館大国であり、学校にも素晴らしい図書館が設置され、専門の教員がその指導に当たっていた。日本では戦後の児童・生徒の健全な趣味や娯楽として読み物を提供したり、自由研究や社会科・理科などの教科で子どもに適した資料や図書を備えることが要求され始めた。こうした動きとアメリカの意向を受けて、教室や予算に余裕のある学校では一つの教室を図書室にする動きが出てきた。このようななか、県教育委員会は昭和二十三年に追分小学校と磐田北小・横須賀小・飯田小(周智郡)の四校を児童読物指導の研究校に指定した。追分小学校は特に学級文庫に関する研究に取り組んだが、肝心の図書は児童一人当たり毎月十円の図書費を徴収することや保護者の特別寄付、家庭で読み終えた図書の寄付などによって集めることにした。教科での利用促進や子どもの興味・関心を調べた上で図書を購入したり、読書カードにも特色を持たせるなどの研究を続けていった。そして昭和二十四年一月には『児童文庫(読み物指導)の研究』の第一輯を刊行、以後「児童文庫推薦図書目録」を発行した。そして同年十一月八日には追分小学校において四校合同の読物指導研究発表会を開催した。学習時における図書利用や学校図書館の運営、読書指導などの研究発表が行われた。追分小学校は長期にわたる研究成果を『学校図書館図書分類簿』、『図書教育の諸問題』、『学校図書館運営の実際』、『学級文庫の実態調査』などの冊子として刊行し、他校をよく啓蒙していった。これを受けて浜松市学校図書館研究会も読書指導カリキュラムを刊行した。南部中学校に学校図書館が誕生したのは昭和二十四年、生徒一人当たり毎月十円の図書費を徴収し、開館当初八百冊から昭和二十七年には二千八百冊に、図書館はカラーコンディションで明るい環境にし、蛍光灯を五個付けるなどの配慮をした。そして同二十八年に学校図書館の研究会を開催し、その成果を発表した。昭和二十九年四月に学校図書館法が施行され、どの学校にも学校図書館を置くことが義務付けられた。これを受けて元城小学校でも図書館教育の研究を推進し多くの成果を挙げた。これらにより学校図書館は発展していくことになるが、学校図書館法の付則に、学校図書館司書教諭は当分の間置かないことができるという決まりがあったために理想通りには進まなかった。