[道徳の時間特設へ]

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【道徳教育】
 天野貞祐文部大臣は昭和二十五年十一月七日に開催された全国教育長会議で、修身科の復活と教育勅語に代わる国民実践要領の必要を表明した。ただ、これは多くの反対があって実現には至らなかった。昭和二十六年に文部省から出された「道徳教育のための手引書要綱」でも、道徳教育は学校教育の全面において行うのが適当であると書かれていた。しかし、日本の独立を契機に道徳の時間を特設しようとする動きが活発となり、文部大臣から教育課程の改訂について諮問を受けていた教育課程審議会は特に道徳教育問題を重視し、昭和三十二年十一月、ついに道徳教育の徹底を図るために道徳の時間を特設するという趣旨の中間的な結論を発表した。このころ浜松市教育委員長を務めていた岡野徳右ヱ門は新聞紙上に、「正しい理解の上に立て」「古い亡霊を引出すな」「大切な時と所と方法」「なくてはならぬ厳しさ」などの見出しの下に、道徳の時間特設に賛意を表し、教え込むことも避けてはならないと記した(『静岡新聞』昭和三十二年十一月十五日付)。一方、静岡県教職員組合主催の教育研究集会が浜松で開かれ、道徳科の特設にあくまでも反対するという方針を打ち出すなど対立が続いた。このようななか、文部省は昭和三十三年三月十八日に次官通達という形で、四月一日から毎週一時間道徳の時間を特設することにした。
 
【道徳の時間】
 浜松市においてはこのころ、都田小学校や西小学校、三方原小学校などが生活指導の研究をしており、この学校の実践で得られたものが道徳の時間に応用できるものにまで高められていた。浜松市の学校では学校や児童・生徒の実態を調査して特に必要な項目を精選し、どのように配列して指導計画を立てるかを慎重に研究していった。西小学校は指導内容の項目を十三項目(自主性・正義感・責任感・根気強さ・健康安全・礼儀など)にしぼり、学年ごと、月別に配当して年間計画を作った。例えば、一年生の四月の「はきもののせいとん」という道徳の授業では、基底主題(指導項目)を礼儀とし、指導を展開していくのである。六月の「手足をきれいに」の基底主題は健康安全、スライドを見せたり、実際に石けんや洗面器を使用して指導することにした。一時間の指導過程の構成、その時間に使う資料の収集と活用など多くの面で授業以前の準備が必要であった。これより半年前の昭和三十二年七月、浜松市教育委員会は道徳教育研究委員の先生方に道徳教育の在り方についての研究を委嘱した。二十二名の委員は数十回の会合を重ねて、「道徳教育資料 特設『道徳』年間指導計画案」を作成した。これは学年ごと、月ごとの主題名、設定の理由、目標が細かく記され、実際の授業の展開例も出ていた。そして、昭和三十三年十月一日に三方原小学校において特設道徳の実地指導が山田甲子男教諭によって行われた。各学校ではこの年間指導計画案を基に、学校の特色も取り入れて道徳の時間をより良いものにするように努めていった。
 ところで、三月の文部次官通達はあまりにも拙速で、道徳の時間を週一時間置くということは八月二十八日に学校教育法施行規則の一部を改正することで本決まりとなったのである。また、道徳の時間の内容も一部改正と同日に「小学校学習指導要領道徳編」(中学校も同じ)が出されたことで規定されたのである。この中で文部省は道徳の指導内容として、小学校三十六項目、中学校二十一項目を示したが、特設時間の週一時間配当や指導内容はこの九月一日に法的に施行されたのであった。
 
【特設道徳 道徳教育】
 特設道徳の時間は昭和三十三年から始まったが、浜松市では学校によってその実施時期が異なっていたようだ。当時笠井中学校三年生であった村木千代八は九月二十八日(月)の日記に「第六時は道徳という名にかわり、第一日目、講堂で三年生受持の『進路について』という題で先生が講師となり、パネルディスカッションを行った。…道徳教育はここに再度行なわれる様になった。」と記している。元城小学校は昭和三十三年秋から開始したとある。年間指導計画案は出来たものの、指導過程や資料の準備などでは課題が残り、道徳の時間を進度の遅れた教科の時間としたり、テスト勉強の時間とすることなども行われ、定着までには時間がかかった。

表3-4 特設「道徳」主題年間配当表