中学校二年生の後半になると、生徒は将来の進路を考えるようになる。また、学校では三年生になると進学や就職の準備も行うようになる。南部中学校では昭和二十四年度に三年生を進学組と就職組に分けた。このように分けたのは南部中学校だけでなく、当時、市内の多くの中学校もほぼ同様であった。中には進学組・就職組・進学就職組(就職と定時制高校への進学者)の三つに分けた学校もあった。これは就職者が職業実習、職業適性検査、労働基準法の講演、職業相談、就職試験などを受けるのにそれなりの学習をさせるための手段と考えられた。しかし、進学組にのみ補習が行われ、学力に大きな差を生ずることになり、『南中新聞』には、「就職組をバカにするな」とか、就職組の生徒は「肩身の狭い思いをしました。先生も進学組の方に力を入れて教えると云うような傾向が見られた。一部の生徒の内にはひがみを起したものもいるようです。」と記されている。このような状況はどこの中学校にも当てはまることであった。これらを無くすべく北部中学校では進学組や就職組を作らず、英語や数学などのごく限られた授業のときだけ、進路別に分かれて学習するといった方式をとった。ところで、昭和二十七年度の南部中学校三年生の進路状況が『南中新聞』第17号に出ている。見出しは「就職は百㌫完了」「三分の一は進学希望」「依然として狭き門」とあり、卒業生四百四十四名の進路が次のように記されている。就職は男子九十七名、女子七十二名で計百六十九名、進学は男子九十九名、女子六十七名で計百六十六名、家事従事は男子二十九名、女子二十七名で計五十六名、縁故就職は男子二十八名、女子二十五名で計五十三名となっている。なお、就職の中には定時制高校希望者の数も含んでいる。男子の就職は中小企業の工場の鉄工関係が多く、特に軽オートバイなどの工場が目立ち、木工関係、店員がこれに次いでいる。女子は綿糸の暴落といった情勢から繊維関係を希望する者が少なく、木工、製菓、ミシン縫工、看護婦、事務関係の順になっている。この南部中学校は浜松駅南の都市部と馬込川以南の農村部を学区とした中学校である。蜆塚の一部を除いてほとんどが都市部を学区としていた中部中学校では、昭和三十三年度の三年生の学級は十六クラス、そのうち十二クラスが進学組、四クラスが就職組であったという。なお、昭和三十一年度中学校卒業生(静岡県全体)の卒業後の状況調査(表3-8)によると進学率は四十八・三%、就職率は四十九・〇%であった(静岡県教育委員会『静岡県教育広報』№104・昭和三十二年十二月号)。
表3-8 静岡県中学校卒業生の進学者・就職者の累年比較
出典:『静岡県教育広報』No.104より作成
注:表中の数字は、原本のまま掲載した。
卒業者数 | 進学者 | 就職者 | |||||
人数 | 進学率 | 全国進学率 | 人数 | 就職率 | 全国就職率 | ||
昭和 | 人 | 人 | % | % | 人 | % | % |
25年度(26.3卒) | 53,433 | 22,825 | 42.8 | 45.7 | 28,191 | 52.8 | 46.3 |
26年度(27.3卒) | 53,478 | 24,412 | 45.9 | 47.6 | 27,954 | 52.2 | 47.5 |
27年度(28.3卒) | 53,396 | 24,666 | 46.2 | 48.4 | 25,073 | 50.0 | 41.7 |
28年度(29.3卒) | 47,788 | 23,362 | 48.8 | 50.9 | 21,904 | 45.8 | 40.0 |
29年度(30.3卒) | 51,501 | 25,838 | 50.2 | 51.5 | 24,680 | 48.2 | 41.9 |
30年度(31.3卒) | 57,902 | 28,259 | 48.8 | 51.4 | 27,383 | 47.2 | 42.6 |
31年度(32.3卒) | 59,110 | 28,592 | 48.3 | - | 28,967 | 49.0 | - |
注:表中の数字は、原本のまま掲載した。